【ロゴマークの由来】


御幸町在住のデザイナーによってハイカラな御幸町を象徴する「紋章」が誕生
素晴らしいデザイン、満場一致で決定。昭和40年代から、いろいろな団体で企業のトレードマークのようにシンボルマークを作ることが盛んになってきた。
ある時、発展会の例会で、御幸町でも町の紋章を作りたいという話が持ち上がり、全員賛成となったが、皆素人のことで差し当たってのアイデアがあるわけでもなく、誰かプロの方にお願いしたらということにした。
そこで、誰か良い人がいないかと捜していたら、灯台もと暗しで、地元の町内に、なんと最高のデザイナーがおいでのことに気がついた。
これより少し前に、静岡県のシンボルマークをデザインされた、当時5組に居住されていた池ヶ谷哲次さんで、その頃は静岡工業高校の教諭をされていて、県のマークの他にフェスタシズオカのマークなど、いくつもデザインをされた高名の方である。
ご町内のよしみで、おそるおそるお願いに上がったところ、仕事が忙しいので早急には出来かねるが、何とかやってみましょうと快くお引き受け頂くとができた。
しばらくして、マークの素案が出来ましたのとご連絡があり、お伺いしたところ、緑の地色に白抜きで、ひらがなの「み」の字を丸くデザインしたものと、同じく菊花の形の2つの案(B案)が出来ており、それを頂いて帰った。
さっそく会議を開いて相談したところ、満場一致で「み」の字の方を採用させて頂くことに決定した。これが、現在使っている御幸町の紋章である。ついた。
他町からうらやましがられ、みんな鼻高々!
マークが決まったから、第一番に町旗を作ることにして、総会などの会場にも掲げられるよう大きな旗を鷹匠町の紺徳さんに注文したが、出来上がって来ると誰が見ても大層立派な素晴らしいもので、流石は池ヶ谷さんのデザインとみんなで感心した。
昭和51年春のことで、これが御幸町の紋章と町旗の由来である。
その年の総会では、この町旗と、同じ大きさの日の丸を正面に掲げ、町の皆さんにお披露目をし喜んで頂いた。
その後、折角のことだからと活用を考え、このマークを白抜きにしたオレンジ色と緑色の2色の小旗を作り、その年の7月の小杭神社の大祭の時、この2色の間に日の丸を入れた三種の旗をアーケードの柱に掲揚して、町飾りとしたのが最初で、その後は静岡まつりなどの街路装飾のたびに、この旗飾りを実施し、好評を博したものであった。
また、学区の運動会の時には、シラトリさんから寄贈して頂いたテントにオレンジ色でこのマークを描き、さらに周りを2色の小旗で飾りたて、応援にはこの2色の小旗を振って気勢を上げ、さすがは御幸町と他町の皆さんにうらやましがられたものだった。
一つの町で紋章を持っている町内は今でも殆どなく、この時代では初めての事柄であって、おそらく町の紋章の「はしり」だと思われる。
最後になったが、池ヶ谷先生のデザイン料は相場としたら恐らくン十万と思うが、ご町内のことなどと言い訳をして、ほんのお礼程度で済まさせて頂いたが、今でもこの旗を見る度に心から感謝をしている次第である。